台湾ワーホリ経験者としてどのように1年を過ごしたかを紹介していきます。これから台湾ワーホリ行く方や、行こうと考え中の人に参考にさればと思います。
私が台湾にワーホリに行ったのが今から約3年前のことで、当時はネットでワーホリの情報などが少なく情報収集が大変でした。いまでは日本人の間で台湾ワーホリの人気が出てきてネットで色んな情報があり羨ましくおもうのと同時に少し悲しくもあります。
まずは日本での色々な準備編
日本での準備はワーホリ申請や語学学校の手配など。
自分の中で予め簡単に考えた台湾ワーホリ計画では3ヶ月語学学校に通い中国語の基礎を身につけ、あとはバイトなどの実践で中国語を定着させる予定でした。
振り返ってみると語学学校は3ヶ月で良かったと思います。
学校での学習が優秀であっても中国語会話が優秀とは限りません。実践で色々な台湾人の中国語に触れることも大切だと思います。
それに語学学校だと、どうしても台湾人以外の外国人(韓国人やインドネシア人、ヨーロッパ系などなど)との交流が多くなってしまい彼らの独特の癖を聞く機会が多くなり、正しい中国語の文法や発音を覚えることができません。ワーホリの大半以上を語学学校に費やすのはおすすめできません。
台湾ワーホリの準備について
なるべくお金を使いたくなかったので安い保険を自分で見つけ契約しました。
さて準備はここまでで実際に私がどのようにワーホリを過ごしたか紹介していきます。
台湾ワーホリ0〜3ヶ月目
先程も書いたとおり、最初の3ヶ月は語学学校に入っておりました。
ちなみに入った学校は逢甲大學です。なぜ逢甲大學を選んだかは日本人が多い環境を避けたかったためです。台中にあり台北と比べ日本人も少なく気候も台湾1安定してます。また南のほうまで行ってしまうと台湾語の出現率が多くなるので、台中がちょうどいいわけなんです。
台中本当におすすめです。
語学学校だけでなくバイトも並行してやってました。あの時が人生で1番忙しかったです。慣れない土地で中国語レベルほぼ0の状態でしたので毎日がクタクタでした。
朝、学校行って→家に帰り宿題やって→バスでバイト先に行き→夜の23時に家に到着し→また明日学校のループですね。
中国語0レベルで、やってたバイトはレストランの配膳でした。客の言ってることは全くわからないので配膳するだけの人でした。あのときの自分の勇気はいまでもすごいと思います。
たまに声かけられるのですが、そうしたら「不好意思,我不懂中文」を連呼して去ってくだけで客との会話はいっさいしてません。同僚ともスマイルだけで乗り切ってました。
台湾ワーホリ生活4〜9ヶ月目
語学学校を卒業と同時にバイトも辞めました。
元々バイトは複数経験したいと思っていたので、1年しか無いワーホリではここで辞めるのがベストタイミングでした。
台北に引っ越そうとアパートを見学に何件か行ったのですが台中と比べて家賃が高いので諦めました。台北で安いアパートに住もうと考えるなら窓が無いことを覚悟する必要があります。
家賃も安く、バス代0円、気候が安定している台中は本当に最強です。台中は私の第2の故郷です。
パンケーキの店でバイト
パンケーキのおしゃれな店で働くことが決まりました。このころには基本的な中国語が身についており軽く接客できるレベルまでに成長してました。
私の中国語のレベルアップのターニングポイントはこのパンケーキ屋にあります。ここで学んだことは本当に多かったです。
- 配膳
- 料理の説明
- 電話予約の応対
最初はキッチンの中でパンケーキを作る仕事をしてたんですが、店長に「お客様と話して中国語を勉強したい」という思いをストレートに伝えたら次の日にはホールで接客の仕事をすることになり、辞める最後のほうは電話応対まで教えていただきました。
電話応対で苦労したことは台湾人の名字を覚えることです。お客様は席の予約をするために電話をしてきます。しっかりメモできなければ当日予約表に名前が無いなんてことになってしまいます。台湾人の苗字の中には難しいのもあり事前に頭に入れて置かなければいけません。
相手の顔が見えない中での中国語会話は緊張感があり、本当に上達しました。
台湾ワーホリ終盤
台湾ワーホリの最後は高雄や台北で遊んだり
台湾を中心にして色んな国に旅行に行きました。香港、マカオ、シンガポール。これらの国の中国語はどう話されてどれくらいの人が話すのか知りたかったためこの3つを選びました。
台湾に住んでいる方はアジア旅行おすすめですよ、日本よりも安く短いフライトでアジアを観光できます。
まとめ
簡単になりますが私のワーホリ生活の総括でした。人生で1度しか使えない台湾のワーホリですが、もし2度使えるなら必ず行きたいです。そう思える充実した台湾ワーホリ生活だったと個人的には思います。
これから行く人の参考になればと!